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    東方神起 LIVE TOUR 2014 ~TREE~   オーラスで見たもの 

    どうしても避けられない、個人的な考察です。
    長い上に、鬱陶しいかもしれませんが、ここを避けては記録をつけられない為
    残しておきたいと思います。(実に3週間ほど考え続けました)


    **
    「今年のライブの内容に満足している?」
    「本当のところはどう思ってる?」


    ひとつだけ質問することが叶うなら、ユノにそう聞いてみたいとツアー中に何度も思い、
    オーラス前夜にはその思いはかなり大きな位置を占めていました。
    **
    昨年のLive tour「TIME」、特に日産スタジアムでの公演は非の打ち所のない素晴らしさで、二人体制で東方神起をはじめて、ライブを創る困難さが様々にあったにも関わらず、「TONE」「TIME」とツアーを重ね、二年目にして既にひとつの完成形を見た思いでいました。だからこそ、私は思ったのです。

    これで東方神起は、今までより一段上のステージに立ち、
    パフォーマンスに於いて新たな飛躍を遂げるに違いない、と。


    掛け値なしに、そう信じ込んでいました。
    今年のライブツアー「TREE」の蓋を開けてみると、ライブというのは、複雑なピースが組み合わさり絶妙なバランスでステージが成立していること。「成長」したからといって、当事者のパフォーマンスだけですべてが解決するわけではないということを、久方ぶりに思い出さざるを得ませんでした。

    クオリティの敵は、なにも怪我やハードスケジュールばかりとは限らないのです。
    今年の敵は、それに加えての、構成及びバラード問題でした。


    **
    今年のツアーを見続けての感想は、いくつか挙げてある記事の通りです。
    特に怪我こそあったものの、ユノのパフォーマンスは昨年よりも一段とスキルアップされ、「技術」と「センス」の裏付けなしに魅せることができないという点で、エンターテイナーとしての志の高さを感じさせられました。ユノのパフォーマンスもそうですが、単体では昨年を優に超すクオリティや満足度であるものが幾つもあるにも関わらず、「ライブ」という作品全体としての評価という点では、評価ポイントのバラつきが昨年よりも大きくバランスを欠いていると言わざるを得ない・・・という印象を持っていました。ハードスケジュールによる皺寄せという点は仕方がないとはいえ、構成の影響などもあり、非常にもどかしい思いをしていました。


    **
    ファンというのは只でさえ評価が甘くなりがちです。
    そこに加えて、甘甘のファンも抱えている東方神起・・・です。

    そっかー、これで拍手しちゃうんだ。
    と、思うことも過去に何度もありました。

    けれども、今年のツアーを見ていて、特にクオリティを求めていないファンでも意識下ではわかってしまっているんだな、と思うことが多かったのです。バラード曲での拍手が、これがまた面白いほどみなさん正直で、一番拍手が大きいのはWith all my heartで、With all my heart >I love you >Tree of Life の構図が崩れることは、ほぼありませんでした。

    内なる衝動に突き動かされ、迸る感動を抑えられずに、ただただ手を叩かずにはいられない・・・という拍手と、例えそれがどんなに暖かいものであっても、思いやりに溢れた拍手、労いの拍手とでは、まったく意味が異なるものです。その場にいたなら、観客であってもその違いは明白に感じられるものですが、観客の反応に敏感な演じ手である当事者が観客の反応の差を感じ取れない筈はないのです。ましてや、過去にあれだけの実績を重ね、公演の経験を積んできた東方神起です。公演の出来も含めて、手応えは当事者が、一番敏感に感じているという点に関しては、疑いを挟む余地はありません。

    だからこそ、冒頭のようにどう思っているかを、聞いてみたかったのです。


    **
    オーラス、京セラドームでの6/22の内容は、久々に素晴らしかったです。
    東方神起は、ここ一番の集中力を発揮して、観客を自らのパフォーマンスに巻き込んで、否が応にも会場のボルテージを一気に加速させていきました。チャンミンがいつもはここら辺でバテてくる・・・という後半でも、間延びすることも減速することもなく、次の曲に行くタイミングで、それがダンス曲であってもチャンミンは、楽しくて堪らないというように瞳を輝かせていたのがとても印象的でした。実は、今年のユノのソロ曲は、私にはユノのソロステージ史上、最も精神が暇な演目なのですが、それすらも楽しかった・・・という、個人的にはあまりのミラクルさに驚いてしまったほど。

    でも、極私的にもっと驚くべき出来事がありました。
    ライブも終盤に迫った、Somebody to Loveでブリッジ後のLove×4のあとにユノがシャウトした時に、突然、込み上げてくるものがあり・・・。かなり長い間、苦労して無理やりにその涙は押し止めました。どうしてなのか、何故なのかはわからないのですが。

    ・・・そして、STLで泣きそうになったけど、我慢したというユノの最後の挨拶です。
    あまりにも驚きすぎて、「これは一体、何が起きたの!?」と思い、
    ほとんど思考停止直前。記憶しておこうと思った、ライブ中の詳細も忘れてしまったほど。

    もう今となっては、わたしの視点は完璧に観察者としてのそれなので、「根拠」を探ることの方がよほど大切で、昔のように「一体感」にそれほど重きは置いていません。ましてや、シンパシーがあったとか、思いを正しく受け取れた、なーーんてことは実は、微塵も思っていないのです。(昔だったら、ひとりで盛り上がっていたことでしょう)

    シンクロしたのではなく、紛れもなく「何かを見た」はずなのです。
    ユノは、「SLTの2サビ(の途中?)から泣きそうになって・・・」、と言っていましたが、私がぐっときたのは、ブリッジラストのLove×4のあと。そこにはタイムラグがあり、その間にユノが泣きそうになってぐっと我慢していた・・・表情なのか、佇まいなのか、動きなのか、歌声に宿る感情なのか・・・、その情感の揺らぎを押し隠そうとしていたと思しきユノの、何かを私は捉えていたはずなのです。

    「何か」を見たからこそ心が揺さぶられたはずなのに、それが「何であったのか」が全くもってわからず、ツアーが終わってからも、「私は何を見たんだろう?」と、実はそのことばかりを考え続けていました。
    観察者としては、もう失敗以外の何物でもない事態です。

    **
    考え続けていた中で、ひとつ気がついたことがあります。
    SMPの中では「“O”正・反・合」がすごく好きにも関わらず、パフォーマンスのクオリティに執拗に拘ってしまうのは「WHY?」なのです。RisingSunも他のSMPの曲も、PerfectでなくてもOKと思えるのですが、「WHY?」だけは嫌なのです。

    「WHY?」についてどう捉えているかは、過去記事に書いています。WHY?は喧嘩ソングなどと言われていますが、相手に一方的に怒りをぶつけるというより、関係性の悲劇、覆せない状況や自身への苛立ちも含めて、ユノの怒りには常に哀しみが伴っているように感じています。この曲は、曲とパフォーマンスにズレがなく起床転結も明確で、終盤での感情の爆発とその後に訪れるカタルシスに快感を覚えます。つまり、この曲をある完成度をもってパフォーマンスできた時には、この曲をパフォーマンスする中で、怒りだけではなく彼の持つ哀しみもまた昇華されうるのだろう・・・と思える点が同じSMPであっても、この曲を他の曲と分けているものではないか、という点にようやく思い至りました。

    「WHY?」の場合には、活動再開のタイトル曲、活動曲であったこともあり、今はまだ純粋に作品単体で捉えることは難しいのです。そして、その背景や状況を含めて「WHY?」が東方神起に取って持つ意味を考えた時に、ユノやチャンミンの感情や表現に、東方神起であることによって受けた傷、東方神起であることを選んだ故の苦悩が些かも込められていない・・・という風に見ることの方に無理があるのです。
     
    ファンもまた「WHY?」の活動を通して、ユノやチャンミンの覚悟や矜持を実感し、彼らが表向きには表現することのない「生々しい感情」に触れ、またそれが昇華される瞬間を体験することで、ファンが抱えていた痛みもまた同時に癒されていたのだと、この曲の果たした役割の重さを今更ながらに感じました。

    だからこそ、他の曲は兎も角、この曲はきちんとカタルシスを感じられるクオリティで演じられることを私は求めてしまうのでしょう。もちろん、本当のところユノやチャンミンがWHY?を舞台でパフォーマンスする時に、何を感じ考えているかは、当事者ではないファンの身には預かりしらぬところです。けれども、分裂騒動で東方神起のファンとして傷ついていた私は、間違いなくあの曲で慰撫されたということに、今回はっきりと気付かされました。


    **
    恐らく、今わたしが何故そこまでクオリティに拘るのかも、結局はそれ故なのかもしれません。私は単に、あの熱狂の渦中を、あの感動を体験したら、それに似たものではもう我慢ができないという非常に正しくも利己的な鑑賞態度ゆえだと思っていました。でも、「それだけ」ではないかもしれません。

    家族でも、どんなに親しい友人でも、東方神起のメンバーであるという自分の状況に伴う複雑さは誰かと分かち合えるという程度を遥かに超えてしまっているのです。ライブの会場で真っ赤に染まった会場を見る時に、この同じ光景を彼らも見ているのだな、と私はつい短絡的に思ってしまいますが、二人が見ている光景はファンが見ているものとは全く別個のものでしょう。東方神起が見ている風景は、ユノとチャンミンしか立ち得ない場所で、二人しか見ることができないものなのです。


    もう彼らは、あの場所でしか晴らせない想いを抱える人生を生きています。
    それまでの公演で、「幸せでした」「楽しかった」と言っていた彼らの言葉に嘘があると思っているわけでもありません。けれども、「東方神起」であることを選択してしまった時に、単に楽しく、幸せだけであるだけでは済まされない、「東方神起であること」の矜持もまた重く架せられてしまっているのです。
    もちろん、その重い軛がなくとも、今にも爆発しそうな熱気が充満する会場で、ファンが内なる衝動に突き動かされ、迸る感動を抑えられずに、叫び、拍手をする時のあの熱狂を知ってしまったら、その志の高さ故に彼らもまた「それに似たもの」では由とはしないのではないかと思うのです。

    未だに私はユノの「何を」見たのかは、わかりません。
    それでも、オーラスのあの日の公演はその前日までずっと「本当のところはどう思っているのかな?」と、思わずにはいられなかった私の懸念を払拭に足る素晴らしい内容でした。少なくとも、東方神起としての人生を生きる上での多くの負担や他人と分かち合えない孤独を超えて、多くの輝きを受け取ったに違いない、と確信できる何かをSTLで感じたに違いない・・・と思っています。

    コメント

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    Re: すごい・・

    鍵コメ ア・・・様

    はじめまして。
    コメントありがとうございます。

    最近ではめっきり私よりファン歴の古い方とは中々お知り合いに
    なる機会も少なくなってしまい、そういう方にも共鳴する点が多
    いと言っていただけて、嬉しい限りです。


    個人的には、TREEに関して辛口の意見が出るのは良いことだと
    思ってます。そういう意見が出るということ自体が、東方神起
    によってファンの鑑賞目が鍛えられている、というなによりの
    証拠だと思うので。

    でも、本当に今年は過去に例がないほど、色々な感想が出て
    ますよね。ファンの需要としても、アイドルからアーティスト
    としての過渡期なのかもしれません。


    私はツアー、あともう1回行けるかなー?
    って思ってるんですけど、某地方でちょっと不穏な話も耳に挟み・・・
    何があっても不思議はない・・・という心づもりでいます。

    それでは、こちらこそ宜しくお願いします!

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